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東京高等裁判所 昭和43年(く)68号 決定 1968年7月08日

少年 T・S(昭二四・一一・一九生)

主文

本件抗告はいずれもこれを棄却する。

理由

法定代理人親権者(実母)T・Y子の抗告の趣意は同人作成提出にかかる抗告申立書記載の通りであるから、これをここに引用し、これに対し一件記録を精査し次のように判断する。

所論の要旨は、原決定は少年の復学の熱意と更生の意欲をたち切ることになり、ひいては、就職にも重大な支障をきたし、その結果社会復帰が困難となり無頼の日を送ることを余儀なくされるものと思うから、その処分著しく不当である、というのである。

よつて案ずるのに、少年の非行を考察すると、少年は昭和四〇年四月都立○○高等学校に入学したが、第二学年になるや次第に学業を怠り出席時間数の不足から同校における進級が不可能となり、同四二年四月よりは転校した△△商業高等学校に学ぶことになつたものの、依然として不良交友と怠学が続き、遂に同年七月二三日虞犯事件として東京家庭裁判所の審判に付されるに至り、同月二八日観護措置取消により帰宅したものの直ぐ夜遊びに耽り、父親に注意されるや家出をし、同年八月一〇日帰宅したので両親はじめ関係者対策を協議の末母と共に半月の四国旅行をして少年の気持も幾分落着きを取戻し、同年九月第二学期より登校する決意の下に帰京し審判不開始の決定を得たのであるが、依然として通学せず非行を重ね窃盗事件で逮捕され、保護観察決定がなされたが尚も不良交友は止まず、同年一二月三一日自動車窃盗未遂事件で共犯者と共に現行犯逮捕されるまで原決定掲記のように一一回の本件非行を重ね、同四三年一月二二日在宅試験観察となり光学工業(レンズ工場)を営む保護司池○弘の許に住込みで約一ヵ月働き、同年二月二三日に来る第一学期より復学の準備もあり帰宅していたところ、余罪発覚により逮捕され六日間の身柄抱束後帰宅を許されて保護者もその復学を心待ちにしていたのであるが、明日より援業開始という同年四月九日またまた自動車窃盗容疑で共犯者と共に逮捕されるに至り、以上併合審理の結果原決定をみるに至つたものであつて、以上の経緯から見て明らかなように、少年は両親、保護司等周囲の者の愛情とその意図その処遇に反して安易に非行を繰り返し、その非行性は常習化の傾向をたどり、保護観察試験観察もその効果を顕わさず、両親の監護も及ばない程度に達しており通常の社会人として社会に復帰さすためには在宅保護をもつてしては足りず今にして強力な矯正教育を施す必要があり、少年院に収容することはやむを得ないものと認められる。従つて原決定の少年を中等少年院に送致する旨の決定には何等処分の不当はなく、所論はすべて理由がない。

尚、担当保護司池○弘からの抗告については、同人は少年法第三二条所定の抗告権者ではない(附添人としての許可もない)ので、その手続が規定に違反しているから判断するまでもなく失当である。又、同抗告状を子細に見ると、池○弘作成名義の部分と親権者作成名義の部分との間には親権者の契印が存するので、池○弘名義の部分は親権者名義の部分の一部を構成するものとも認められるのであるが、しかりとすればその理由のないことは已に説明した通りである。

よつて、本件抗告はいずれも少年法第三三条第一項、少年審判規則第五〇条に則りこれを棄却することとし、主文の通り決定する。

(裁判長判事 石井文治 判事 山田鷹之助 判事 中村憲一郎)

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